徒然なるまま、気の向くままに

こちらにブログ引越ししました。猫のこと、カラダのこと、その他もろもろ。思いつくまま、気の向くままに、細く長く続けてます。

思うこと(長文です)

昨日、クーコは「やすらぎの森むなかた」で荼毘にふされ、お骨になって我が家に戻ってきました。

クーコとは、あと20年くらい一緒にいる予定だったのに。
私にとって最初で最後の猫になりそうだなぁ、なんて思ってましたが、まさかこんなに早くお別れがくるなんて思っていませんでした。
今まで、我が家で飼っていた子たちは、比較的長生きだったので、今回の事では本当に動揺してしまいました。
そして、ドナ、ハンナの時には経験しない「強制給餌」と「クーコとの関係性の変化(崩壊)」という辛さも待ってました。


FIPの診断後、最初は食欲もいつも以上にあり、お薬もフードと一緒にペロッと食べて、比較的元気でしたが、食欲がなくなってからは、急激に悪化しました。
お薬も無理やり口を開けて飲ませ、ご飯も強制給餌になってから、クーコは私を避けるようになりました。

抱っこして、10秒くらいはジッとしているのですが、ハッと気づいて「嫌だー、嫌だー」と逃げ惑います。
嫌がるクーコに無理やり口を開けさせ薬を飲ませる、流動食を流し込むのは、本当に辛い行為です。

あんなに人間大好きの甘えん坊だったのに、私も先生も周りにいる人間はクーコにとって嫌なことをする人。
それでも、一度も人に爪を立てたり、噛みつく事はありませんでした。

本当にやさしいクーコ。一番辛いのはクーコなのに。

私は嫌われてもいい、それでクーコが元気になるのなら。

でも、クーコが安心して身をゆだねられると思える存在が居なくなってしまった事が、本当に悲しかった。
クーコは孤独に感じていたのでは、と思うと胸が押しつぶされそうです。

今となっては、あの時に無理な投薬も強制給餌もしなければよかった。
病院で心細い想いをさせているのだから、家に帰ってからは、クーコに少しでもゆっくりとした時間を与えてあげれば良かった。

悔やまれます。


もっと悔やまれるのは、最期の日の朝。
前の日から呼吸が早くなってましたが、朝になって更に呼吸が苦しそう。

「きっと胸に水が溜まって呼吸困難になっている。すぐに水を抜いてもらわないと。水を抜けばクーコは楽になる」と、開院前に病院に行きました。
この時、キャリーバックにクーコを入れる時、「ミャー、ミャー」と小さく泣きました。
クーコが声を出したのは2,3日ぶりだったので、少し嫌な予感がしました。

予想に反して肺に水は溜まっておらず、呼吸が荒いのは肺・呼吸器の問題ではなく、腸が損傷して胃から下が全く動いていない。体全体がきつい状態になっている。という事で、そのも半日入院へ。

クーコは、もう顔を上げるのも出来ない状態。

なのに、診察中にクーコがヨロヨロと起き上がり、頭を私の腕に押し付けてきました。

「置いていかないで。家につれて帰って」と。

入院ゲージに連れて行かれるときも、ミャー、ミャー泣いていた。


今、思えばそれがクーコの最後のお願いだったのに、どうしてあの時にクーコを病院に置いていってしまったんだろう。悔やまれて仕方ありません。


15時頃、会社から病院に電話したとき「呼吸が少しでも楽になるよう、酸素室に入っています」と聞き、私は浅はかにも、酸素室レンタルの準備を始めていました。
『酸素室に入ればクーコは少し楽になる。腸さえ動けば。便が出ればクーコは楽になる。』と。

夕方、病院に向かいながら『酸素室は明日になるから今日は病院に泊まった方がクーコはしんどくないのでは』などと考えながら病院に行ったのですが、先生から


「今日が最後の日になるかもしれませんので、一緒に過ごしてください」


その時に、ようやく、『もうクーコは本当に助からない。お別れのときが近づいている。もう自分を騙すことはできない』と先生の言葉を聞きながら泣いてしまいました。

病院からの帰路、ハァハァと息苦しそうなキャリーバック中のクーコに向かって
「クーコ!もう少しだから。もうすぐお家だから!まだ逝かないで!」と声をかけ続け…。

家に帰って、クーコを私のベットにそっと寝かせました。
口を空けて小さくハァハァと呼吸して苦しそうです。

クーコの横に添い寝し、
「クーコ。大丈夫だから。恐くないよ。楽になるよ、楽になるよ。」
と、体をさすりながら、この苦しい時間が長引かないように、クーコの最期が穏やかである事を願いました。

それから、約1時間後。

だんだんと呼吸の間隔がゆっくりとなり、最期は体にピーンと力が入り、その力が抜けた瞬間、全てが終わりました。

その時、思ったのは、
「よかった。クーコが楽になった。あまり苦しまずに本当によかった」


クーコの顔も穏やかになりました。

クーコ

今回の事で、後悔は山のようにありますが、最期を自宅で看取れて、少し救われました。



人はなぜ動物を飼うのでしょうか。

クーコの事を第一に考えてるつもりで、実は自己満足でしかなかったのではないだろうか。
保護された子の里親になって、少しでも…、と思っていたのも単なる偽善だったのではないだろうか。
ハンナが居なくなった寂しさを、クーコで埋めようとしていたのではないか。
そもそも、現実をなかなか受け止めることが出来ず、右往左往した私に、動物を飼う資格があるのだろうか。

このブログを読み返しても、本当はクーコの状態は日々悪化していてクーコとのお別れが近づいている、と自分でも半分結論が出ていたのに、どこか元気になっているように感じることを無理やり見つけ出し、「まだ大丈夫。まだ大丈夫」と自分に言い聞かせていたように思います。現実から逃げていました。

病態が悪化してから、先生から「動けないと思いますので、お漏らしすると思います。シートを引いてください。」といわれましたが、
亡くなる前日の夜まで自分でトイレでオシッコしていました。
家でも、あきらかにぐったりとしているのに「自分でオシッコしているからまだ大丈夫。クーコは、まだ大丈夫」と思い込んでた。

高熱が出たときは「熱さえ下がればクーコの食欲が戻る」
電解質が下がったときは「点滴して補えば、元気になる」
黄疸が出たときは「肝臓の薬が効いてくれれば、クーコは回復する」
膵炎が出たときは…、血糖値が上がったときは…。
毎日、次々に出てくる症状は、FIPが暴走して体中を蝕んでいるのに、私は、その症状さえ治まれば、なんとかなる。と思い込もうとしてた。

今だから思うのかもしれませんが、
治る病気ならまだしも、こういう病気の場合は、ご飯を食べなくなった時点で無理な治療をやめるべきだったのではないだろうか。
延命治療は苦しみを長引かせるだけだったのでは。

何が正解かは分かりません。



クーコによく言っていた口癖。
「クーコ。私、クーコのお母さんになるけん。お母ニャンになるよ」


クーコに毎日歌っていた子守唄。(ちょっと恥ずかしいですが…)
「クーコはカワイイ女の子〜♪ドナちゃんとハンナちゃんはお姉ちゃん、ワンワンニャ〜♪」

最期の時も何度も歌いました。