徒然なるまま、気の向くままに

こちらにブログ引越ししました。猫のこと、カラダのこと、その他もろもろ。思いつくまま、気の向くままに、細く長く続けてます。

コマのこと

私が幼少期の頃に、家で飼ってた雑種のコマ。
ちょっと小柄でアイボリーの毛。茶色の鼻。ボタン耳。

私が生まれる前から家にいたので、コマは私にとって歳の離れたお兄ちゃん、と言いたいところですが、居候の叔父さんみたいな存在でした。
家での順位は、完全にコマの方が上。ですから、コマが私に甘えるということはなく、コマが私の子守をするような感じでした。


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今だったら、大変なお叱りをうけると思いますが、コマは完全放し飼い。野放しです。
家の中も外も出入り自由。コマだけは土足OK。
外の犬小屋で寝ることもあれば、私のベットで寝ることもある。
家の前の道路で日向ぼっこしている事が多く、お散歩も自分で自由に行っていた。

ちょっと今では考えられないですね。
もう40年ほど前の事なので、記憶も途切れ途切れですが、コマについて強烈に覚えていることがいくつかあります。


「幼稚園のお迎えはコマ」
私の幼稚園が終わる30分前ごろから、コマが幼稚園に来てくれて、門の向こう側でまってくれた。
幼稚園が終わり、私は「コマ、コマ〜!」と駆け寄るのですが、コマはチラッと私をみて、「さ、帰るぞ」といった感じで、私の少し前を歩いて家につれて帰ってくれた。



「おつかいコマ」
信じられないかもしれませんが、コマは一人でおつかい(買い物)に行っていた。
半信半疑だった私は、ある日、コマのお遣いを尾行することにした。
母がコマの首に風呂敷を結びつけ、「お願いね」と頼むと、コマは近くの商店街までトコトコあるいていった。徒歩7〜8分の距離だが、途中は曲がり角も、踏み切りもある。
商店街の入り口にある薬局の奥さんが、コマの風呂敷を解いて中にあるメモとお金と引き換えに「蚊取り線香」をコマの首に結び付けていた。
『コマが蚊取り線香を買っている…』
母にその頃のことを聞くと、コマは食品(乾麺など)も買ってきてくれたそうです。



「運動会は退屈」
小学校1年の運動会に、両親と祖母とコマが応援に来ていた。
昼休み、コマと一緒にお弁当を楽しみにしていたのに、間が持たなかったのだろう。昼前に一人で家に帰ってしまった。



「コマの入院」
ある日、家の中に血痕がいくつも落ちていた。コマが首に酷い傷を負って血を流していた。その頃は、野犬化した野良犬も多かったので、喧嘩したようだ。
コマは、近くの動物病院に入院することになった。
私は入院しているコマにお見舞いに行こうと、花を摘んでもっていった。

「この花、コマにあげて下さい」

犬に花束とは、病院も対応に困ったでしょうね。
その病院には、その後、ドナ、ハンナ、クーコもお世話になることに。
本当に長い付き合いです。コマがお世話になった先生は、現在は半分引退され、今はその息子さんがメインで活躍されています。



「ボディガード・コマ」
これは、母から聞かされていたコマの話です。
母が近所にマッサージに行く時、コマが母について行った。
マッサージ師さんは、目が不自由な方で「犬を部屋に入れないでください」と言われたそうですが、「この子は大人しい犬です。噛み付いたりしませんので」とお願いし、マッサージをしているベットの横でコマは母を待っていた。
マッサージも終盤に入り、上半身起こされマッサージ師さんが母の上半身を羽交い絞めするような形でねじられ、グキグキっ…、
その時、コマが「ワンワンワン!」とマッサージ師さんに飛び掛ったそうです。
母を苛めていると思ったのでしょうね。
それからも何度かマッサージにいったそうですが、コマは「家に居なさい」というのを無視して、母について行き、また終盤になると飛び掛り…。
結局、最後のグキグキ無しでお願いしたそうです。



父が他界し、私が小学校3年の時、引越しすることに。
すでに老犬になっていたコマは新しい家になじめず、何度も前の家に帰っていった。
そして、前の家の近くの林の中で一人で逝ってしまった。

コマ。